C'est la vie!

La vie du Burkina. Jour:082

2010.09.11


La vie du Burkina. Jour:082・Merci(ありがとう)

ありがとう、Thank you(サンキュー)、Merci(メルシー)、고마워(コマウォ)、
大学時代からこの“ありがとう”という言葉についてはしばしば考える。

日本人ほど世界の人々の中で“ありがとう”を連発する民族はいないのではないかと思う。

そして多くの場合、“どういたしまして”に当たる
“おっ、ええよ”とか
“いえいえ”というフレーズで会話が完結する。

たまに“気にせんといて”と返されることもあるが、
そういう場合は“ありがとう”の代わりに“ごめんね”が使われることも多い。

そう考えると日本人はすぐ謝るような気もする。


海外ではどうだろうか。
韓国とBurkinaで生活していて、しばしばこんなことを思う。
それは、彼らはあまり“ありがとう”にあたるを言葉を連発しないというか、
状況をかなり選んで使っているということだ。

そしてこちらがありがとうと言うと、
Burkinaでは
“どういたしまして”より“Pas de probléme = 問題ない”と返されることが多い。
韓国でも
“괜찮아(ケンチャナ) = 大丈夫”と返されることが大半、
そして、“ありがたがられるようなことではない”とまで言われることもある。
もし謝ったりしようものなら、
“俺たちの仲なのに水くさいじゃないか”と、謝ったことに対して怒られたりする。

d0159222_3594369.jpg
今日、うちに県局長の息子2人が来たから、
昨日のお礼にと料理を作ってもてなした。

でも彼らは特に礼も言わないし、
“美味い”とは言うものの、満面の笑みではなかった。

自分の料理の腕もそうだし、
日本人とは味覚が違うだろうから美味しくなかったのかもしれないと思うのだが、
日本人の感覚としては、
もてなされたら無条件に、

満面の笑みで“ありがとう”

と応える気がする。
特に海外の人にもてなされた場合は。

だからこの反応は少し拍子抜けした、というのが正直な感想。


でも“ありがとう”に“問題無い”と返すことからも、
Burkinabéは普段からあまり“どういたしまして”、と思って行動することが無いのだろうと思う。
つまり、根底にあるのは“何かをしてあげてた”じゃなくて、“当たり前のことをしただけ”という姿勢?

だから自分のしたもてなしは、
彼らにとってありがとうを言うほど特別なことではなく、
ごく普通の“当たり前の行為”の範囲に入っていたのではないかと思う。

日本人だって料理を作ってくれる家族に向かって何かの記念日でもない限りありがとうと言わないように、
彼らは隣人に対しても頻繁に礼を言わないのだろう。

親しき仲にも礼儀あり、はここではあまり一般的な考え方ではなさそうである。


そしてまたしても自分は感謝を期待(強要?)していたのかもしれない。
ボランティアとしてあるまじき…(そもそもそんな高尚な意志を持ってたわけではないが)

昔“ありがとう”と言われたいという下心があるから、君は“ありがとう”を言っているんだ、とある先生に言われたことがある。

確かにごく近い間柄ならありがとうを超えた(ありがとうを言わなくても伝わる)関係が存在するとも理解できる。

そしてうわべで満面の笑みを作るのは長く続かないし不自然なことだから、
無理して感謝する必要が無いというのも尤もだと思う。

だから先生に言われた通り、
自分はありがとうを言うことに関して下心がないと100%断言はできない。
言われたいから言ってる部分がどうしてもある。

でも、一方で自分はありがとうの笑顔に救われることが多いし、
それが良い人間関係を築くことに繋がると信じている、信じたい。


Burkinaで朝の挨拶は握手まで含めて毎日欠かされることがないし、
“おはよう”だけでなく“元気?”までが一連の流れになっているのは、
ありがとうの素っ気なさに比べると少し過剰な気がする。

でも同じようにBurkinaの人が日本に来たら、
朝の挨拶は適当なのに、お礼は過剰な民族だなぁと思うに違いない。

ありがとうを頻繁に言うのも言わないのも、
朝の挨拶の尺も、
どっちが良いとか悪いとかそんな優劣は無い。

ありがとうを頻繁に言わないことがおかしいことではないこともよく解る。

だた、他人行儀だと非難されても、自分はありがとうを言うほうがスッキリする。
ただそれだけ。日本人だから。いや、自分はそう育ったから。
どんなに韓国語ができるようになっても、ありがとうを言う頻度は変わらなかったように、
きっとフランス語の能力に関係なく自分はMerciを言い続けると思う。
そこは三つ子の魂百まで、変わることは無いのだろうと思う。



今日のつぶやき:
9・11から9年。テロを企てるように仕向けたのは実は米国内部の人間だとしても何らおかしくない。あの事件で得したのは結局誰だったのかを考えれば充分にあり得る話だ。ならば世界の殆どの戦争・紛争が米国人の利害関係に結びついていそうだから、どこもかしこも米国の自作自演なのかもしれない。
[PR]
by nao24d | 2010-09-11 23:00 | Au Burkina Faso