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C'est la vie!

正義の味方の功罪

2011.12.01


85日目・正義の味方の功罪

あんなに戦隊モノのREDが好きだったのに、
これは善だと決めた瞬間、どこかに悪が生まれる、
悪は、善によって生み出される、と気付いたときはショックだった。

でも確かに傲慢なほどのおせっかいは、相手を否定しているだけに過ぎない。
善かれと思ってやっているにも拘わらず…

正義の味方の功罪_d0159222_1012484.jpg
<デスクで新聞を読む同僚>
ブルキナファソ人が本を上に上にと積み重ねるのは、
棚に立てて並べていく多くの日本人からすると、探しにくそうで、カイゼンしたくなる光景なのかもしれない。
それはどこかで、自分たちのやり方が正しいと思っているからなのだと思う。
でも、彼らは意外にあっさりと意図する資料を引っ張り出すことができ、
彼らには彼らのやりやすい方法があることを知る。

私は彼らの空間認識の仕方が日本人と違うのかもな?と思ったりしていたが、
今日他の隊員と食事をしていて、
彼らがその積み重ねる方式の中で、横に並んだ各固まりに意味を持たせていることに気付かされた。
確かに、年毎の固まりになっていたのは見た経験があったし、
各々何らかのルールで並べていたからこそのあの速度だったのだろう。

しかも、立てて本棚に並べると、まとまりを作るためには何か別の工夫が必要になるわけだ。

このとき私たちのやり方が正しいと思っていては、
彼らのやり方は悪いやり方になるわけで、彼らの方法の良さにも気付けない。
そう思っているぶんには、カイゼンはままならず、
ずーっと彼らのやり方に即した方法も見いだせないだろう。

ところで、
先進国のやり方はみんな良いのだろうか?
先進国の制度は必ず正しいのだろうか?

「ゴミはゴミ箱に捨てないと汚い」というのは、私たちの価値観でしかないのではないだろうか。
「あとで掃除するから問題ない」という現地の人の考えは間違っていると言いきれるのか?

私は正しい、あいつらはできないなんて決めつけて、
援助だからこれは善だと言って、
それは客観的な事実に基づいています…なんてこっちの物差しで線を引いた資料を引き合いにだして、
それじゃあもうほとんど暴力的に支配してるのと変わらないだろ、とも言えなくはないような気がしてくる。

自分のやり方一番主義の人間が、
他人の自分のやり方を全否定するって何か矛盾してるだろ?って思う。

国際協力の現場でそんなあまっちょろい考えじゃ何も変えられないのかもしれないけど、
だとしたら、そもそも何も変える必要なんて無いのかもしれない。

それでも何かしたいなら、
相手が自分でもっとやりやすいやり方を見つけられるように、
こういうやり方もありますよ、ってそっとささやくような、
そして、相手のやり方も尊重し、自分が感動できた部分をコピーするような、
お互いシェアし合うような関係が、
まず第一にリスペクトありきな関係が、
善悪も優劣超えた関係が、

もっと人を育てる気がする。

もっと世の中を豊かにする気がする。

援助じゃない、協力っていうのは、そういうことなのかなって、
なんとなく思った日。
by nao24d | 2011-12-01 23:00 | 心境