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カテゴリ:隊員・事務所( 10 )

協力隊員として海外でボランティアする理由

2012.05.14


250日目・協力隊員として海外でボランティアする理由

今日でJICAボランティアの24年度春募集が終わる。
今回は実は私の後任の要請が出ていた。要望調査票はコチラ
要望調査票では新規とされているが、これは職種が変わったことによるもので、
中身は私の要請と同じと言って良い。

どんな人が後任になるのか、非常に興味深い。

さて、その募集なのだが、
去年の春募集に続いて、今回もまた知り合いが応募する。

そこでいろいろ相談を受けたので、
私自身改めて、JOCVとして海外でボランティアをする理由について考えてみた。

よく"協力隊に参加することが憧れです(でした)"という声を耳にするが、
おそらく協力隊員になるためには、
まず、要請をしっかり見て、自分のニーズ・適性と合ってる要請を探す必要があると思う。
協力隊に行きたい、じゃなくって、
したいことがあったから協力隊を選んだ、って言えるものを探す感じだろうか、
3年前、私はそういう思いで協力隊を選んだ。

環境に関しての大学での学びを、社会に還元したかった、
けれど、ずっと環境と関わっていくかには迷いがあった。
そこで、ステップにするにも、他の道選ぶにも、2年っていう時間なら割けるかな?という部分が、
協力隊で環境に関わる一番大きなポイントだった。

海外の実際が見たい、っていう理由も多いが、それなら短期のスタディーツアーなどもある。
それでも敢えてJOCVで行くという隊員の多くは、
やはりその2年って時間がミソだと思っているのではないだろうか。
しかもある程度の権限が与えられてて、
かつ専門家と違って、成果に関してそこまで大きな責任が無いから、
トライ&『エラー』できるというのも大きい。

以前所長が、
"失敗したことのリストを作ったらどう?"と言って下さったことがあった。
失敗する原因を全部網羅したら、もうあとは成功するしかなくなる。
しかしそういう知識のバンクは、あるようで無いから、是非取り組んでみたらどうか?ということだった。

と言うのも、専門家は仕事で来ているから、失敗はできない。
とくに開発コンサルなどの企業から、JICAの委託で来られている人はシビアに仕事をなさっていると聞く。
だから、そういう人たちには成し得ないのが失敗の事例集というわけ。
つまり、さっき言ったトライ&『エラー』できるというのは、
ボランティアは専門家と逆転の発想で、
ボランティアにしか作れない失敗事例集作ろう!くらいの、チャレンジができるということなのである。

ただ、ここで間違ってはいけないのが、失敗が許される、という意味で責任はあまり無いけど、
でもその失敗は必ず任国や日本、世界に還元しなくてはならないということ。
それは失敗が許されてる私たちの責任だと思っている。


ちなみにフランス語圏はJICAの専門家もまだまだ不足しているらしい。
私くらいの年齢で来て、その後、国際協力に携わっていきたいという人材は、
おそらく歓迎もされるし(もちろん力があればだが)、引く手数多なのではないだろうか?
それもJOCVに参加するメリットかもしれない。
もしこれをステップにしたいと考えるなら、
Burkina Fasoなど、フランス語圏、サハラ諸国での経験はかなり強みになるのではないだろうか?と思う。
(私はその道で生きていく考えを今のところ持ってはいないが)

もちろんJOCVの経験に加え、帰国後英国などでマスターを取ったらなお強いと思うが、
そうでなくてもOBとしてJICA関係の制度で経験を積むこともできるし、
留学や、その道に進んで行くためのルートもそこから、いろいろ拓けてくると思う。
また、大使館職員や専門家の方々にお話を伺ったり、
事務所でJICAの職員の方々と話せるチャンスもあり、
日本にいるより、現場の生の声ははるかに近くで聴ける。

さらに健康・安全面や金銭面のサポートを加味して考えたとき、
国際協力の専門家を目指すなら、メリットはかなりあると思う。

もちろん、批判的な意見もあるので、
協力隊に参加する前には、このBlogだけでなく、アンチの意見も参照されると良いかと思うが、
山本敏晴さんのブログも非常に分かり易く協力隊のことが書かれているのでおススメしたいと思う。

ちなみに、ここでは月9万もらえると書かれているけど、
今は仕分けの影響で減額されているとも聞くので応募の際は確認されるのが良いかと思う。


最後に、協力隊に参加して、
まず私の場合全く未知の業界だったから、
国際協力関係の日本では絶対コネクション持ちようがなかったセクターの人と話せたことは刺激的だった。
またその出逢いがもとで、将来のこと考える時間を持てたこと(写真・報道関係に進みたい)も良かった。
そして、日本・日本人って何だろう?
日本はこれからどうして行くべきなんだろう?と考えたり、
愛国心と言うのだろうか?そうした感情もより強くなり、
政治家ではないけど、国のことについて多少なりとも意見持てるようになった。
もちろん以前から全く無かったわけではないが、
経験に基づいてより多くの視点から考えれるようになった気がする。

これが今ざっと思いつく、
この3年間で私が協力隊員として海外でボランティアして得たものかと思う。

自分の後任の方には届かないと思うが、
今後、協力隊を目指す人に向けてと、
自分自身の記録として、このBlogを遺しておくことにする。
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<2012年5月14日のわたし>
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by nao24d | 2012-05-14 23:00 | 隊員・事務所

広告 ~ブルキナファソのおみやげ~

2012.04.29


235日目・広告 ~ブルキナファソのおみやげ~

2月に見学させて頂いた、
21年度4次隊の先輩隊員(任期延長されているので、まだBurkinaにおられる方)の活動先、ジニアレろうあ学校。
そこの子どもたちの作ったBurkina Fasoのお土産品の広告が完成。
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<広告 ~ブルキナファソのおみやげ~ ジニアレろうあ学校>
遅くなったけれど、どこかで活用して頂けるとありがたい。
そうでなくとも単純に喜んでもらえると良いなぁと思う。
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by nao24d | 2012-04-29 23:00 | 隊員・事務所

送別会

2012.03.17


192日目・送別会

今日は任期を終え帰国する隊員たちの送別会があった。

今回は1つ前の隊次と学校の先生をしている同期も帰国するということで、
いつもの送別会とは違う感覚があった。

2年前の4月に訓練所で出逢って以来、ともに協力隊員として歩んできた仲間。
退避を経てからも、戻ってこられた貴重な存在でもあったし、かなり感慨深いものがあった。

会の途中で担当調整員から自分の任期延長が決まったことが報告された。
これで12月に帰国することになり、クリスマスは東京で研修らしい。

ということは、3ヶ月後にさらに同期7人を見送ることとなる。
いざ、そう決まったと聞くと、いよいよ寂しい気持ちが押し寄せてくる。

協力隊はどこの国も3カ月ごとに隊員が入るから、
帰国する人がいれば、一方で新たに赴任する人がいるもの。

しかし、ブルキナは去年の暴動のせいで、隊員の派遣再開は来年の3月以降。
だから、ひたすら見送るばかりで、もう1年迎えることが無い状態。
どんどん静かになっていく隊員宿舎。

最大勢力の同期が抜ければいよいよ隊員は10人。
ちょっとしたことで電話をかける相手もいなくなる。

同期の帰国日まではもう100日を切っている。
みんなまとめの時期に入っている。

どんな顔でお別れするのか今は想像もつかないが、
自分もとりあえず6月20日に一区切りつけるつもりで活動し、
同じくらいの達成感を感じながら最後の瞬間を過ごせたらと思う。

協力隊の2年って、ほんとあっという間だなぁと、
いよいよ実感が湧いてきた。

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<集合写真>
最後に、帰国される22-1、21-4の隊員の皆さん、2年間本当にお疲れさまでした。
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by nao24d | 2012-03-17 23:00 | 隊員・事務所

隊員機関誌完成

2012.01.26


141日目・隊員機関誌完成

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<機関誌表紙>
ついに出来た。
今日印刷も完了したらしい。

電子書籍にするにあたっては、
epubという形式のファイルが右綴じに対応してないような感じでなかなか苦戦したけど、
最終的にとりあえずはmixPaperを使うことにした。

リンクはコチラ

なお、このテスト版というのは、個人的にはより思い入れが強いバージョンでもあるので、
私にごく近しい方々には、是非こちらを読んで頂けるとありがたいです。

ちなみに、グラビアと表紙の写真は自分の撮ったものが使われていて、
それが形になったのを見ると素直に嬉しく、ちょっとにやけてしまう。

素材の絵や写真は頂きものが多いが、
レイアウトは100%自分でやったので、それもかなり感慨深いものがある。

初めてこういう作業をしたけれど、今では随分PhotoShopもわかってきた気がする。

26ページの広告のように、今後、環境省でも啓発ポスターなど製作できれば…と思ったり、
任地の職人さんのリサイクル製品のカタログづくりなどにもこの技術を活かせればと思ったりしている。

企画・構成頑張ってくれた編集長、ほんとにお疲れさまでした。
でも次回は、あんまり自分の意見が通らないときにすねないで下さい。なんて 笑

まぁでもできたもの見ると、ほんまにスカッとする!

少しでも多くの方に読んで頂けることを祈って…
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by nao24d | 2012-01-26 23:00 | 隊員・事務所

Un visiteur

2011.10.15


38日目・Un visiteur(訪問者)

Koupélaに再赴任後初めて他の任地の隊員がやってきた。
彼はKoupélaから30kmのところに住む、
同期隊員なのだが、退避前は結局一度もここを訪れることがなかった人。

不仲だったとかそういうことは無かったのだけれど、
当時は隊員数も多かったから、
私にとっても彼にとってもお互いがその大勢を構成する一人で、
大した問題にならない存在だったのではないかと思う。

最近良く思うように、
人が減ったことで、残ったそれぞれの関係は自ずと濃いものになっているわけで、
彼との関係というのは、その最も特徴的なものと言えるかもしれない。
とにかく随分距離が縮まった。

もともと同じ学年だから、通じる部分も多く。
またそれ以上に彼から得るものは多い。

私は本来負けず嫌いなところがあって、同い歳の人をかなり意識するところがある。
年上の人に歯が立たないのは受け入れられたけど、
同世代以下の相手に対しては、
無意識のうちにどうにか言い負かしてやろうとしていたことも多かった気がする。
けれど、彼と出逢って、絶対敵わない奴がいるんだな、そう思うようになった。

これは大きな変化。

いろいろ知ってた気で、何も知らなかったことに気付かされ、
ちょっとは勉強したつもりで、全然足りてないことに気づかされ、
十分検討したつもりで、もっと深く様々な視点で指摘され…

結局年齢など関係なく、
目上の方々はおそらくそれ相応の努力をなさってて、
ただそれを言い訳に、自分自身がかなり甘ったれてたんだな、と思う。

同い歳でも自分よりもっと努力できてる人がいるのだから。

負けたくない相手がいることも力になると思うけれど、
こういう気付きをくれる、今の自分じゃ敵わない人も、とても貴重な存在。
彼には、今後ともひとつ宜しく、と密かに思っている。
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by nao24d | 2011-10-15 23:00 | 隊員・事務所

La fête d'adieu

2011.09.12


5日目・La fête d'adieu(送別会)

今日はお世話になった健康管理員Y氏の送別会だった。

昨年の赴任時、到着してすぐにマラリアになった際は本当にお世話になった。
当時の調整員から"自己管理が出来ていなかったんじゃないですか?"と厳しい言葉をかけられて若干凹んでいたとき、
彼女は不可抗力もあったのでは?と、
私にだけ落ち度があった訳ではない、という姿勢で接して下さり、
本当に救われた気がしたことを強く憶えている。
(家族からも相当あれこれ言われた…愛情の裏返しだろうが)

送別会の席で、
退避前は、最大90名を超えていた隊員から健康に関する相談をひっきりなしに受け、
休日もろくに休めなかった、とおっしゃっていた。
確かに勝手に母のように慕い、こちらは気軽に相談していたのだが、
90という数にもなれば、それは相当な負担だったのだろう。
それでもいつも気さくに接して下さったのだから、
ただただ尊敬するばかりで、感謝は言い尽くせない。

鼻やのどが弱い私は、
以前どうすれば症状が改善するか?と伺ったことがあったが、
そのとき彼女から私が鼻を触る癖を指摘され、
まずそれを止めなさい、とのアドバイスを頂いた。

触ったり、気にしたりするのは確かに良くないとわかっていたが、
改めて指摘されて、やっとそれを少し控えることが出来るようになった。

しかし、このエピソードで私が一番先に感じたことは、
自分たちには些細な癖までしっかり見て下さる健康管理員がいて下さるんだ、という心強さである。
それは、健康維持の難しい過酷な環境で活動する私たちにとって一番良い薬だったのかもしれない。

心からありがとうございました、そして2年間お疲れさまでした、と伝えたい。
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<送別会にて>
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by nao24d | 2011-09-12 23:00 | 隊員・事務所

La vie du Burkina. Jour:271

2011.03.19


La vie du Burkina. Jour:271・I love you

今日は先輩隊員の送別会で上京。

明日帰国される平成20年度4次隊の方々と、
今夜のフライトで帰国の平成21年度1次隊の現職教員特別参加制度で参加されていた方々に向けての会だった。

9カ月同じ国で過ごしたわけで、
特に20-4のおふたりには、それぞれの任地で活動を見学させていただくなど、
お世話になることが多かった。

徐々に、こうして思い出の多い方々を見送る割合が増えて行くのだなぁと思うと寂しい気もする。


さて、この会の中で特に印象に残ったことをここに記しておきたい。

それはかの有名な夏目漱石が教師をしていたとき、
「I love you」の訳を、生徒が「我君ヲ愛ス」とした際、

「月が綺麗ですね」といいなさい。それで伝わりますから…

と言ったという話。
日本で英語の先生をなさっている方の最後の挨拶だったのだが、
正直何をおっしゃっているのか最初は理解できなかった。

しかし、あとで調べると、

夏目漱石は江戸~明治に生きた文豪であり、
その時代はまだ「愛」という言葉は一般的でなく、「情」の時代だった。
加えて「我君ヲ愛ス」という直接的な言葉は、日本人の感性に合うものではなかった。

以上から、
その話の前後を捉え、日本人ならではの叙情的な文章で思いをつなげる事をよしとしたのだろうと言われたり、
無粋なことが嫌いな漱石らしい逸話だとも伝わっているそうだ。

実に素敵なエピソード。
その話をなさっていた瞬間に、すぐ理解出来なかったのが残念だった。



震災後twitterで
"暗過ぎて今までに見たことないくらい星が綺麗だよ。仙台のみんな、上を向くんだ。"
というtweetを見た。
日本でも今多くの人が空を見上げていることだろう。

私も空を見上げ、
そして遠い国にいても世界との繋がりを感じられる月を見つめながら、
"月が綺麗ですね(=I love you)"とつぶやいてみる。
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<任地で観た初めての満月:2010.08.24>

あいにく今日はカメラが無かったが、Burkinaで10回目の満月だった。
残りは今のところ15回。
せっかく雨の少ない国にいることだし、
あと15回、少なくとも満月の日には、日本にのみんなに、世界で活躍する同志に、想いを馳せてみたい。
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by nao24d | 2011-03-19 23:00 | 隊員・事務所

La vie du Burkina. Jour:256

2011.03.04


La vie du Burkina. Jour:256・帰国する人々

実は3月2日、3日に立て続けに帰国された隊員がいる。
でも、これは任期短縮。
詳しい事情はわからないけれど同期も1人いて、
彼女は健康上の理由での帰国だった。

この見送りにも行ったけれど、
その悔しさは計り知れないものだったと思う。

考えてみれば、私が今このタイミングでアフリカに居れることは奇跡とも言える。
情勢不安でエジプトやチュニジアは協力隊員が撤退を余儀なくされ、
隣国のコートジボワール(既に撤退済み)やニジェール(ブルキナから渡航禁止)も危険地域。
世の中いつ何が起こるかわからない、それはここだって同じだと思う。

それに加えての過酷な環境、
健康管理も難しく、日本にはない疫病がある。
私自身、入国後すぐマラリアを発症したのでその辛さは身に沁みてわかっているつもりだ。

だから、この道を選び、ここに辿りついたこと、
今ここに居れること、それを心からを大切にしなければならないと思う。

彼女は語学も堪能で、活動も参考にさせて頂く点が非常に多い方だった。
本当に良い刺激を頂いていた。
みんなと一緒に帰りたかった、その言葉が本当に印象的だった。

日本での活躍を願うばかりだ。


そして、
今日4日は平成20年度3次隊のS隊員の帰国日だった。
本来は1月までの任期だったが、彼女は2か月の延長を経て今日帰国することになっていた。
2年間と2カ月の活動を終えた表情は清々しく、誇らしげで、
また、彼女ひとりの為に隊次を越えたくさんの人が空港に足を運ぶのはすごいことだと思った。
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<空港見送り>
いつも日焼けされていたその姿が印象的だった先輩。

私も15ヵ月後、
同じような表情でここを訪れることができるように、
毎日を生きなくては!


最後に続けざまに空港に行ってひとつ感じたことを記しておく。

2010年6月22日、この国に着いたその日、
私はこの同じ空港をうす暗くお世辞にも綺麗とは言えない、と感じた。
雨季でじめじめしていたし、その暑さにもげんなりし、どぶに溜まったゴミにがっかりしたような記憶がある。
臭い、蚊、ハエ。
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<2010.06.22 車内灯の点かないバス>

しかし、今の私はその空港を非常に明るいところだと思った、
そしてわりと綺麗だとさえ感じた。

考えてみれば任地には外灯がないところが多く、
停電だって日常茶飯事、
そんな環境が私の感覚を確実に変えているのだろう。

綺麗、の感覚も随分変わった気がする。
許容範囲が広がったというか…

今ここに居るのは、
日本から来てすぐの私とは確実に違う価値観をもった私。

溶け込んできた、と見るか、
慣れてきた、と見るか。

変えてはいけない日本人らしさを残しながら、
肯定的な変化をしていきたい。
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by nao24d | 2011-03-04 23:00 | 隊員・事務所

La vie du Burkina. Jour:229

2011.02.05


La vie du Burkina. Jour:229・衛生教育@Diébougou

前日誕生日を迎えたパパの活動を見学。
一つは病院での5S-TQM推進活動。
トヨタ式改善の病院での応用。
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<5S-TQM推進活動ポスター>

そしてもう一つが、
先輩隊員(職種・青少年活動)と看護師隊員のパパ、そしてパパのCP(カウンターパート)による衛生教育。
この日のテーマはゴミ問題。
ちょうど自分にも大きく参考になるテーマだった。
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<板書する児童>
小学校での授業だったのだが、
気になったのが前日の隊員同士の食事中にも話題になった、
「燃やすか、燃やさないか」の議論(高温の焼却炉などは無いものとして、燃やさないものは埋める)。

この授業では日本で言うところのレジ袋は燃やすと教えられていた。

自分はBurkinaに来て以来、このゴミ問題を中心に据え活動を考えており、
その中で学んだことを総合すると、個人的にレジ袋は燃やすべきではないと考えている。
理由はダイオキシンなど有害なガスが発生するため。

ただそれでどうするかと言われれば、
結局のところどこかに埋めるしかないということになる。

他にも家畜の糞、生ゴミ、骨など、
燃やすか燃やさないかって選択肢では片付けにくいものもあったし、
壊れたハサミももえないからと言って埋めてしまうのが良いのか。

これだけで1時間、いや数時間にわたって話せるくらいの内容。

それどころか、
日本では分別制度に別段大きな疑問も持たずに暮らしてきたが、
本当にそれで良いのか、悪いならどうして処理していくべきなのか、
改めて考え直す必要のある問題だと思った。

自分なりにも考えてみて、専門家の方にも伺って、
そして環境系の隊員にだけではなく、
こうした衛生教育を行っている医療系の隊員や、
子どもの前に立つ教育系の隊員にも共有できればと思った。

良い機会だから、Burkinaのレジ袋(プラスチック袋)に関して、
今現在の自分ならこう教えるかな、と思う内容を記しておく。

以下→
プラスチック袋は、燃やすと有害なガスを発します。
かと言って埋めても少なくとも400年以上は風化しないと言われています。
ではどうするべきなのでしょうか?

一番の方法はそれをゴミにしないこと。
作らないこと、使わないこと。

もし使うならば、何度も使用すること。

どうしても使えなくなったらなら、それを繊維をしてリサイクルします。
私が使っているこのカバンや財布はプラスチック袋を利用して作られています(と言って見本を示す)。
←以上


他の隊員の活動を見るというのは非常に良い刺激になる。
特に、同じ問題に関して別の見方もあるということにはなかなか気付けないから、
職種を越えて話し合う機会がもっと増えても良いのではないかと思った。
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by nao24d | 2011-02-05 23:00 | 隊員・事務所

La vie du Burkina. Jour:228

2011.02.04


La vie du Burkina. Jour:228・Bon Anniversaire!

同期のM氏は駒ヶ根時代からいつもお世話になっている方で、今日は彼の誕生日。
朝少し働いたら、彼の任地に行ってこようと思う。

ささやかながらプレゼントに絵を描いてみた。
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<同期M氏の似顔絵>
わりと上手く描けた気がするが、果たして喜んでもらえるだろうか。

ちなみに本人はこんなお顔(駒ヶ根時代)。
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<親馬鹿パパ>

お誕生日、おめでとうございます。
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by nao24d | 2011-02-04 02:00 | 隊員・事務所