C'est la vie!

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教授からのアドバイス

2011.05.19


一時退避28日目・教授からのアドバイス

木曜日は卒業した研究室でゼミの授業がある日。

教授に会って活動のことを少し話した。

帰国することになったときから、
これを機に任地の人々が作ったモノを日本でフェアトレード製品として販売できたら…その販路を開拓できれば…
と考えていたのだが、

教授から、
「フェアトレード」
と示す必要性についてご指摘頂いた。

最近はフェアトレードに関しての認知度が上がり、フェアトレード製品の中でも競争が起こっている。
フェアトレード業界は多様化もさることながら、どんどん高品質化もしている。

任地の製品も同じようにフェアトレードとして並べた場合、それらと他の製品が比較されることになる。
そのとき、敢えてBurkinaの製品を手にとって下さる方がいくらいるだろう?
残念ながら贔屓目に見てもクオリティで敵うとは言い難い。

つまり、教授がおっしゃったのは、
フェアトレード・ブランドに置かずに、単に
「西アフリカの最貧国で作られたリサイクル製品」
とした方が差別化が図れ、購買に繋げられるかもしれない。
ということだ。

これは盲点だった。

さすが経済学の教授のお言葉。
全然そういうつもりじゃなかったけど、話してみて良かったと思う。

この場を借りて御礼申し上げます。

だがしかし、
そうするとどういうところを販路に選べば良いのだろう。
全く以てわからなくなってしまった。

新しい課題。。。
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by nao24d | 2011-05-19 23:00 | Japon

10ヵ月

2011.05.15


一時退避24日目・10ヵ月

Burkina滞在は10カ月だった。

その間に、家の近くには新しい自転車屋がオープンしていた。
そこで今日は、この10カ月間乗らずに傷んでいたマウンテンバイクを修理してもらった。

この自転車屋以外にも10ヵ月という時間に新しく建った建物は数えきれない。
日本は変化のスピードが速いなぁと改めて思う。

しかし私がそうした変化に違和感を感じるのは一瞬で、
その後、案外簡単に新しい風景を受け入れ、適応し、
少しすれば元の風景がどんなだったかさえ、あっさり忘れていることが大半である。

マウンテンバイクの「10か月」が埋められるほんの一瞬の間、
私はその作業を見つめながら、京都の「10カ月」と、Burkinaの「10カ月」を擦り合わせた。

変化のプロセスや、埋もれてしまった一過性の出来事に関する情報は中抜けしているものの、
10カ月が生み出した結果には、いとも簡単に感覚をadjustできている、
いや、もはやadjustしている実感すらないとも言える。

そして、普段通りペダルを漕いでうちに帰った。
任地で別の自転車を漕いでいたはずなのに、10mも漕げばまるで違和感は無かった。
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by nao24d | 2011-05-15 23:00 | Japon

2年前のある朝のこと

2011.05.13


一時退避22日目・2年前のある朝のこと

2011年5月10日、13時24分。
祖母が旅立ちました。
12日、葬儀・告別式を終えた今、
弔いの言葉にかえて、
協力隊に受かった1ヵ月後、2009年9月6日に私が書き留めた言葉を載せておこうと思います。


↓以下本文↓

夜勤明けの日曜の朝


家に帰るとおばあちゃんが迎えてくれた、

かと思いきや

「いってらっしゃい」 ?!

あわてて、今帰って来たことを説明する。

「おかえり」


おばあちゃんは、

大学5年生になっていることや、

韓国に留学したりして、未だにフラフラしている自分に

言いたいことも多いようである。


でも、そのことには触れず、

あとでわざわざ2階の僕の部屋まで上がってきて、

ご飯は食べたのか?と聞きながら、

おもむろにお金の入った封筒を手渡してくれた。


いい年して自分はまだおばあちゃんからお年玉をもらっているし、

それ以外にも、韓国に行ったり、東京に行ったり、

何か遠出をするたびにおばあちゃんは決まって軍資金をくれる。


今回は朝まで働く自分に、無理をするなと言いたかったのだろう。



ただ、いつもはピン札の1万円が入っているのだが、今日は違った。

封筒の中身は、ちょっと皺になった2枚の5千円札。


うちの家は決して裕福なわけではないと思う。

同居するおばあちゃんも例外ではない。

それがありありとわかる、皺になっ2枚の5千円。

何日も前から渡さなくてはと貯めていてくれたようだ。


いつもはありがたく使わせていただいていたが、

このお金は使えそうもない。

なぜか自分がとてつもなく情けなく思えてきた…

自分は身勝手だったとか、そんな考えがいきなり頭の中を渦巻き始める。

これはおばあちゃんの愛であり、そして戒めでもある。


「なをちやん おばさんです」と書かれたその封筒も全部ひっくるめて、

大事にとっておこうと思った。
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<封筒と2枚の5千円札>




このおばあちゃんに自分はまだブルキナファソの件を伝えていなかった。

ちょうどカメラのフィルムが2枚残っていたから、

おばあちゃんを撮ろうと外に誘った。
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<うちのおばあちゃん>



そしてその件を話すと案の定、

「さっさっと身をかためなあかんやないの~、何でまたそんな遠いところに…」

と、今まで何度も聞いてきたお言葉。

今回もおばあちゃんは不満気だ。



しかし、大正2年生まれ、96歳のおばあちゃん。

改めてその歳を考えると、

そんな遠いところに行って、おばあちゃんにしばらく会えなくなることが、

いよいよ怖くなってきた。

いくら健康とはいえ、もうそんなに長くは無いに違いない。

その不満をあと何度聞けるかもわからない。

何度でも聞ける気がしていたが、それは甘えだったと今更気づいた。




自分が派遣されている2年間、元気でいてくれることを願う。

ブルキナファソに行くまでおばあちゃん孝行しようと思う。

写真はさっきの封筒と一緒に、お守りにしよう。

そして帰って来たら、うんとおばあちゃん孝行しようと思う!


夜勤明けの日曜の朝。

おばあちゃんは土いじり(野菜づくり)を始めた。

自分はこの出来事を記録して、眠ることにする。

↑以上↑


享年98歳でした。

ブルキナに派遣された日からまだ11カ月も経っていませんが、
こうした出来事が起こってみて、改めて2年という時は本当に長いものだと感じます。

しかし、不謹慎かもしれませんが、幸いにも2年の真ん中でここに帰ってこられて、
このタイミングで日本に居れたことは幸せだったと思います。

写真と、封筒と、2枚の5千円札は、これからもずっと私のおまもりであり、宝となるでしょう。

祖母にはお疲れさまでしたと冥福を祈るばかりです。
ゆっーくり休めたら、どこかから見守っていてほしいな。

また小言をつぶやいてもらえたらなぁ…
なんてこのときのことがすごく懐かしく思える、おばあちゃんのいない夜…

またこの出来事を記して、眠りに就こうと思います。

おやすみなさい。
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by nao24d | 2011-05-13 02:00 | Japon

こいのぼり

2011.05.05


一時退避14日目・こいのぼり

5月5日。子どもの日(国際助産師の日)。

日本では"青い鯉のぼりプロジェクト"という運動が起こっていた。
詳しくはこちら

青い鯉のぼりは子鯉。
震災で亡くなってしまった子どもたちの為に、それを津波の心配の無い大空の海へ…
という運動。

発案者のおられる、宮城県東松島市大曲浜ではたくさんの青い鯉のぼりが空を泳いでいた。
復興のシンボルとして、これからも毎年掲げていくそうだ。


かわって京都の5月5日。

空を見上げても、どこも電線があって、
のびのびとした"大空"っていうのは、なかなか見られないなぁなんて思う。
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<屋根より低い鯉のぼり>

ブルキナでは毎日どこかしらで目にした国旗。
日本だと右翼だとかどうとかいうイメージでなかなか掲揚しないものだけど、
今日はちらほら国旗が掲げられているところを目にした。
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<国旗>

お隣韓国では97%くらいの家庭に国旗があるという。

復興だ!って団結ムード出すとき、
国旗がもっと当たり前に掲揚される国のほうが、わかりやすくモチベーション上がる気がするけど、
そういう考えってやっぱり右傾化してるってなってしまうのかな?

この震災の復興のシンボルは鯉のぼり、
□□のシンボルは○○、
××と言えば△△、
日本じゃそういう風に区別することが習慣的なんだな、って感じる。

右傾化とも言われんし、
より意味あるシンボルってなるんかな。

そう言えば1日の天皇賞のとき、
淀の競馬場では復興支援シリコンバンドが飛ぶように売れてた。
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by nao24d | 2011-05-05 10:00 | Japon