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C'est la vie!

2年前のある朝のこと

2011.05.13


一時退避22日目・2年前のある朝のこと

2011年5月10日、13時24分。
祖母が旅立ちました。
12日、葬儀・告別式を終えた今、
弔いの言葉にかえて、
協力隊に受かった1ヵ月後、2009年9月6日に私が書き留めた言葉を載せておこうと思います。


↓以下本文↓

夜勤明けの日曜の朝


家に帰るとおばあちゃんが迎えてくれた、

かと思いきや

「いってらっしゃい」 ?!

あわてて、今帰って来たことを説明する。

「おかえり」


おばあちゃんは、

大学5年生になっていることや、

韓国に留学したりして、未だにフラフラしている自分に

言いたいことも多いようである。


でも、そのことには触れず、

あとでわざわざ2階の僕の部屋まで上がってきて、

ご飯は食べたのか?と聞きながら、

おもむろにお金の入った封筒を手渡してくれた。


いい年して自分はまだおばあちゃんからお年玉をもらっているし、

それ以外にも、韓国に行ったり、東京に行ったり、

何か遠出をするたびにおばあちゃんは決まって軍資金をくれる。


今回は朝まで働く自分に、無理をするなと言いたかったのだろう。



ただ、いつもはピン札の1万円が入っているのだが、今日は違った。

封筒の中身は、ちょっと皺になった2枚の5千円札。


うちの家は決して裕福なわけではないと思う。

同居するおばあちゃんも例外ではない。

それがありありとわかる、皺になっ2枚の5千円。

何日も前から渡さなくてはと貯めていてくれたようだ。


いつもはありがたく使わせていただいていたが、

このお金は使えそうもない。

なぜか自分がとてつもなく情けなく思えてきた…

自分は身勝手だったとか、そんな考えがいきなり頭の中を渦巻き始める。

これはおばあちゃんの愛であり、そして戒めでもある。


「なをちやん おばさんです」と書かれたその封筒も全部ひっくるめて、

大事にとっておこうと思った。
2年前のある朝のこと_d0159222_233598.jpg
<封筒と2枚の5千円札>




このおばあちゃんに自分はまだブルキナファソの件を伝えていなかった。

ちょうどカメラのフィルムが2枚残っていたから、

おばあちゃんを撮ろうと外に誘った。
2年前のある朝のこと_d0159222_241123.jpg
<うちのおばあちゃん>



そしてその件を話すと案の定、

「さっさっと身をかためなあかんやないの~、何でまたそんな遠いところに…」

と、今まで何度も聞いてきたお言葉。

今回もおばあちゃんは不満気だ。



しかし、大正2年生まれ、96歳のおばあちゃん。

改めてその歳を考えると、

そんな遠いところに行って、おばあちゃんにしばらく会えなくなることが、

いよいよ怖くなってきた。

いくら健康とはいえ、もうそんなに長くは無いに違いない。

その不満をあと何度聞けるかもわからない。

何度でも聞ける気がしていたが、それは甘えだったと今更気づいた。




自分が派遣されている2年間、元気でいてくれることを願う。

ブルキナファソに行くまでおばあちゃん孝行しようと思う。

写真はさっきの封筒と一緒に、お守りにしよう。

そして帰って来たら、うんとおばあちゃん孝行しようと思う!


夜勤明けの日曜の朝。

おばあちゃんは土いじり(野菜づくり)を始めた。

自分はこの出来事を記録して、眠ることにする。

↑以上↑


享年98歳でした。

ブルキナに派遣された日からまだ11カ月も経っていませんが、
こうした出来事が起こってみて、改めて2年という時は本当に長いものだと感じます。

しかし、不謹慎かもしれませんが、幸いにも2年の真ん中でここに帰ってこられて、
このタイミングで日本に居れたことは幸せだったと思います。

写真と、封筒と、2枚の5千円札は、これからもずっと私のおまもりであり、宝となるでしょう。

祖母にはお疲れさまでしたと冥福を祈るばかりです。
ゆっーくり休めたら、どこかから見守っていてほしいな。

また小言をつぶやいてもらえたらなぁ…
なんてこのときのことがすごく懐かしく思える、おばあちゃんのいない夜…

またこの出来事を記して、眠りに就こうと思います。

おやすみなさい。
by nao24d | 2011-05-13 02:00 | Japon